第三十章「日蓮大聖人の知恩・報恩」より(2)
「今度命(いのち)をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何(いか)なる世にか父母・師匠をもすくひ奉るべきと・ひとへ(偏)に・をもひ切りて申し始めしかば案にたがはず或は所をお(追)ひ或はの(詈)り或はう(討)たれ或は疵を・かうふ(被)るほどに去(い)ぬる弘長元年辛酉(かのととり)五月十二日に御勘気(ごかんき)を・かうふりて伊豆の国伊東にながされぬ、又同じき弘長三年癸亥(みずのとい)二月二十二日にゆりぬ。」
(「日蓮大聖人御書全集」 321-322p.)
〔通解〕
「このたび正法流布のために命を惜しんで仏勅を実践しなかったならば、いつの世に仏になることができようか。
また、いつの世にわれ成仏して父母、師匠を救うことができようか。
このように考えて、ひとえに思い切って正法をもって国家諌暁したゆえに、思ったとおり、あるいは所を追われ、あるいは悪口をいわれ、あるいは討たれ、あるいはわが身に傷を蒙るというような迫害を受けつづけたのである。
そして、ついにさる弘長元年(辛酉(かのととり))五月十二日に御勘気を受けて、伊豆の国、伊東の地に流罪された。
しかし、それは同じく弘長三年(癸亥(みずのとい))二月二十二日に許されたのである。」
(「日蓮大聖人御書十大部講義 第五巻 報恩抄」 328p.)
※適宜、改行しました。
「不惜身命の行動、末法の一切衆生を救わんとの大願――その御心中には、父母と師匠への報恩の一念があられたのである。
日蓮仏法には、その出発点から、赫々たる報恩の一念が脈打っている。このことを、私たちは心肝に染めてまいりたい。」
(「5・3祝賀最高代表協議会での名誉会長のスピーチ㊤」
聖教新聞 2009(平成21).5.1.(金))
※フリガナは省略しました。
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