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2008年10月

ショスタコーヴィチの「交響曲第7番」(2)

(つづき)

 初演以来、ショスタコーヴィチ存命中くらいまでは、どのようにとらえられていたか。

もとより、とらえかたというのは人によって様々であり、簡単にくくることはできないのですが、あえて簡単にまとめますと…

  

旧ソヴィエトの人たちにとっては… 

 「敵」というのは、(いきなり条約を破って攻め込んできた)あの憎むべきヒットラーとナチス・ドイツ。

 「勝利」というのは、ナチス・ドイツのファシズムに対する、わが偉大なる指導者・スターリンとソヴィエト軍の勝利、という認識だったでしょう。(少なくとも、公式的には)

 (一般庶民の本音で言うと、わが祖国・ロシアの大勝利… いやいや、単に戦争の早期終結を望んでいただけなのかも知れませんね。ですから、この作品のフィナーレに、戦時下の緊張から解放される喜び、ふたたび愛する家族や肉親と出会える喜び、とにもかくにも生き延びられる喜び… などを聴き取った人々が何人もいたかも知れません。)

  

連合国側の人々にとっては…

 「敵」というのは、ナチス・ドイツであるのはもちろんですが、もしかしたらムッソリーニ率いるイタリア、そして軍国主義の日本も含まれていたかもしれません。

 そして「勝利」というのは、これらファシズムに対する、欧米諸国、連合国側の大勝利、(そして第2次世界大戦の早期終結)という認識だったでしょう。

 (※では、連合国側の一般庶民、特に当時の反戦主義者たちなどは、この作品をどのようにとらえたのでしょうか…? 興味あるところです。)

   

 しかし、作曲者の逝去後… もっというと、かの話題の書「ショスタコーヴィチの証言」出版後、解釈はガラリと変わりました。

 「敵」というのは、あらゆる形態のファシズム、なかんずくスターリン体制をはじめとする、共産主義圏の全体主義体制を指すようになった。

 (ショスタコーヴィチは共産主義国家ソヴィエトの忠実なるしもべ、と思われていたので… これは劇的な変化でした。)

 この場合の「勝利」とは何かについては割愛します。

   

さて今回のグルジア紛争における追悼コンサートにおいては、主催者側、そして各地に中継を行ったロシア側の立場としては、

 「敵」とはグルジア軍側、

 「勝利」とは、グルジア軍の虐殺をくい止めたロシア側の勝利、

…ということになるのではないかと思われます。

      

…私が思うに、この作品のとらえられ方というのは、時代状況によって、

また聴き手の立場、持っている思想・(信条・宗教etc.)、所属する民族や国家、境涯(すなわち器の大きさ・視点の広さ・洞察力の深さ…)、

などによって、それぞれに違いがあるわけです。

  

では、作曲者自身は、どのように発言しているのでしょうか。

(つづく)

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